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「何を描いたらいいのか分からなくなった時期、もう何もないそのこと自体を描こうと思い、描いてみたんです。でも描いたものを見てみると、その空間は何もないということもなくて、いろいろなものが含まれている。発見があった」。
 阪本トクロウの描く何もない風景画は、見るものに遠い感覚を与える。視線はゆらゆらと彷徨い、到達する場所を知らない。物質感を欠き、茫々とした空間の果てしなさは、それを見ている個と世界の間にある境界線をあいまいなものにしている。
 輪郭を欠いた「わたし」の見るこのような風景は、絵画よりも、むしろ写真において90年代後半から多用されたイメージである。とくに70年代ニューカラー写真の祖ウィリアム・エグルストンの作品は、そんな90年代後半のあいまいな時代の気分を表すのに適した、1典型として頻繁に取り上げられ、反復されたが、そこに写されるのは電線、抜けのない空、ビルボード、車、ハイウェイなど、絵のように平面的に切り取られた抑揚のない郊外の風景であった。
 このようなどこにでもあり、どこでもないような風景は、実際都市の景観としては、世界中に氾濫していたものだが、写真表現によって改めて、風景になりきれない風景として、それを眺める希薄な存在としての「わたし」とセットで発見されたのである。
 「昔からある日本的なイメージの失われた、今あるような薄っぺらい風景をそれほど嫌いじゃなくて、愛しく見ているところはあります」。
 阪本の描く風景画にもまた「電線、抜けのない空、ビルボード(コンビニの看板)、車、ハイウェイなど、抑揚の郊外の風景」が頻繁に登場する。彼の絵が「よく写真っぽいと言われる」のは、もちろん自ら撮影した写真をもとに絵を描く、そのプロセスに因るところが大きいが、それ以上に私たちが90年代後半に広く流通したあの風景写真のイメージを共有しているからに他ならない。彼の風景画を写真のようなものとして認識するのは、写真のような風景を私たちがすでに知っているからである。
 阪本が反応しているのもおそらくそのような「個」の成り立ちにくい、どこまでも透明すぎて不透明な時代のありようであり、薄っぺらい風景の中の「わたし」である。大学時代から日本画を専攻してきた彼だったが、そんな写真のように薄っぺらい日本の風景を描くには、日本画の画材は適していなかった。「物質感が強く出る岩絵具は、それ自体に力があり過ぎるので、今の題材には合わなかったんです。もっと軽い感じの出るアクリル絵具に変えたのはそういうところが大きかった。それにもっと自由になりたかったというところがあります。日本画では、なぜこの画材で制作しなくてはならないのかということがとても重要で、画材のほうにばかり意識がいってしまい、作品の内容に目が向かないのが嫌だった」。
 薄っぺらい日本の風景は、すでにノスタルジックな感情を抱くほど浸透しきった時代のイメージであり、彼もまた、そこからはじめる他ないことを知っていた。自分にとってのリアリティを、彼は正直に表現していく。
「今のこの風景が消えてしまうと考えると、無常で悲しくなって、それで描かなきゃってことで描いているんだと思います。何も描くことがないという、絶望からはじまったんですけど、作品として人に見せるからには、たとえ絶望を描いたとしても、その中に希望を感じてもらえるようなものを描きたい」。
 アトリエの壁には、最近描きはじめたという、空の絵のシリーズが並んでいる。壁一面を覆うほどの大きさを持つ制作中の空の絵は、うっすらと浮かぶ雲以外に景色を構成する要素は存在しない。視線はどこにも焦点を結ぶことなくどこまでも遠くへ遠くへ浮遊していく。サイズの大きさも含め、これまでの作品にはない空間の広がりがそこに感じられる。
「こういう構図自体は新しいことではないと思うけど、何かここから広がっていけばいいなと思って。ガラッと作風を変えるようなことはまだしたくない。今しか描けないからこういうものを描いているところもあるので、もう少しだけ続けたいなとおもっています。どっちみち10年も20年も続くような作品ではないので・・・」。
何かが変わっていく予兆のようなものをその空の遠さの中にみたような気がした。阪本の描く日本の風景とその風景の中に立つ「わたし」の輪郭はこの先どのように変わっていくのだろうか。

文・石井芳征(美術ライター)   2003年美術手帖7月号 アクリリックスワールド16より